大町桂月

十和田湖を愛し蔦温泉で没した明治の文人
大町桂月(おおまち けいげつ) 本名・芳衛 1869~1925
高知市生まれ

明治の美文家として高名な大町桂月はまた、“鉄脚居士”と戒名にあるように旅を愛した酒仙でもありました。1908年(明治41年)雑誌「太陽」の仕事のためはじめて彼は十和田を訪れます。尻内駅で下車し五戸に寄って、十和田湖への山道を通り湖畔一帯を散策、蔦温泉にまで足を延ばしたのです。その翌年「奥羽一周記」を発表し、その中で“山は富士、湖は十和田”と書き、十和田湖の名は全国に知れわたるようになったのでした。

更に1921年(大正10年)北海道探勝旅行の帰途、再び十和田を訪れ、深いブナの原生林に覆われた赤倉山麓の閑静な蔦温泉郷を“仙郷”と呼んでこよなく愛し、ついにその地に終生住み着くことになります。そして辞世の歌として“極楽へ越ゆる峠の一休み 蔦の出で湯に身をば清めて”を残し、蔦温泉の宿で息を引き取ったのでした。晩年、蔦温泉とその風景を友として生きた桂月の墓は、今も彼が住んだ宿近くのブナの古木の下にひっそりとたたずんでいます。

明治維新の嵐が吹き荒れるさ中、土佐の高知で藩士の子として生まれた桂月は、東京帝国大学国文科在学中から新体詩や文芸評論を書き、その美文は人々の注目を集めていました。卒業後は一時中学教師になったり出版社に務めたりしながら、多くの著書を残していますが、その本領は全国を旅して書いた風格のある紀行文にあったといえるでしょう。そしてその旅で出会い最も愛したのが十和田湖と蔦温泉であったのです。

現在十和田湖畔に立つ高村光太郎の彫刻「乙女の像」は、十和田湖の名を全国に紹介し、十和田国立公園の基礎をつくったといわれる大町桂月を顕彰するものでもあるのです。

絶景の湯

十和田湖温泉郷

十和田湖温泉郷について 住まば日本、遊ばば十和田、歩きゃ奥入瀬三里半 大町桂月が初めて十和田湖を訪れた明治41年(1908)、一行は五戸から新郷を経て、宇樽部までの道を歩いた。宇樽部と休屋に泊まり、蔦へ向かう。十和田湖からの帰...
絶景の湯

十和田湖畔温泉

十和田湖畔温泉について 必ずおもむいて、十和田湖を見よ 酒を愛し旅を愛した明治の文人・大町桂月が初めて十和田湖を訪れたのは、明治41年(1908)。雑誌『太陽』の編集長・鳥谷部春汀(トヤベ・シュンテイ)に紀行文を依頼されたのだ...
絶景の湯

蔦温泉

蔦温泉について 森の中の一軒宿 大町桂月がこよなく愛した十和田・奥入瀬・八甲田。そのなかでも、とりわけ惚れ込んでいた蔦の森と七つの沼、そしてお湯。ブナの森に囲まれた一軒宿のどっしりとした構えから、暖かな明かりが漏れていた。 ...
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