酸ヶ湯温泉

絶景の湯

酸ヶ湯温泉について

地域に愛されてきた湯治の宿

酸ヶ湯は、江戸時代から湯治の宿として賑わってきた、八甲田山中の一軒宿。ヒバ造りの佇まいが懐かしい。80坪もある総ヒバ造りの混浴「千人風呂」は、その名のとおり千人は入ろうかという大浴場で、ことに農閑期には爺さん・婆さんたちが話に花を咲かせている。湯を浴(あ)み、山の空気を吸い、人に触れ、話に和む。湯もさることながら、この雰囲気の全体が癒しの場となっている。昭和29年(1954)、四万温泉・日光湯元温泉とともに国民保養温泉地第一号に指定された。

酸ヶ湯温泉 – ヒバ千人風呂 – 0207A

湯治の仕方

湯治には、湯治の仕方がある。やたらめったら湯に入ればよいというものではない。三日一廻りで、三廻り九日。「三日一廻り」とは、初日は寝る二時間ばかり前に一回、湯浴みする。二日目は、朝起きてすぐと、寝る二時間ばかり前。三日目は朝起きてすぐ。これで「一廻り」。これを三回繰り返して「三廻り」九日になる。
一廻り目は躰の悪いところが表にあらわれて、温泉が自分に合わないのではないかと思われることもある。じつは、これが温泉の効果が出ている証拠なのだ。二廻り目で体調は元に戻り、三廻り目で快方に向かうと言う。
「千人風呂」には「熱の湯」「四分六分の湯」「冷の湯」と打たせ湯の「鹿の湯」があるが、これにも入る順序がある。まず「熱の湯」に5分、それから「四分六分の湯」に5分、「冷の湯」「鹿の湯」には3分、そして最後にもう一度「熱の湯」に3分浸かるのだ。
酸ヶ湯の温泉は濃く、効能も高い。湯治の仕方に沿って、湯浴みを楽しんでほしい。
地獄沼の道路を挟んで反対側、東北大学高山植物研究所の脇を下っていくと、「まんじゅうふかし」がある。温泉の蒸気が中を流れ、温まった木の椅子に腰掛ける。下半身が温まって、「子宝に恵まれる」と言う。

棟方志功と酸ヶ湯

棟方志功(1903~1975)はこの酸ヶ湯をこよなく愛し、毎年土用の丑の日や青森ネブタのころになると、この湯宿を訪れ家族と過ごした。ロビーには「酸ヶ湯温泉と八甲田」の絵が飾られている。志功は無名のころから、しばしば八甲田山に登り、絵を画いた。酸ヶ湯には、その作品が数多く残されている。
そのうち10点ばかりが八甲田ホテルに飾られている。ロビーにある鯉の絵の傷は、猫が本物と見間違えて引っ掻いたのだという逸話もある。
棟方志功が記した「八甲田山」という文章がある。そのなかに酸ヶ湯は「鹿湯」として登場する。もともと鹿が浸かっていた湯を発見したのがこの温泉の名前の由来だから、志功の表現は間違っていない。「鹿湯岳はその内の雄岳で、岳の根座に鹿湯温泉がある。此の温泉は三日一廻りのいわゆる霊泉で、遠く青島、九州から、又北海道からの効目本位の浴客で、百幾部屋を持つ旅館も、何時も一杯な人で此処の湯量と似て溢れ、浴客は雑魚寝の繁昌だ。それに春の雪どけ頃の農閑期には地元の湯治客で、山湯には珍しい大きい湯槽も混浴の肌が触れ合ふ程だ。丑湯の前後の日々は廊下に寝、屋根裏に寝、本当に屋根にも布団を敷くのだ」。 (棟方志功『板極道』昭和17年)

鹿内仙人

かつて酸ヶ湯に鹿内仙人と呼ばれた人がいた。仙人のような風采をしていたという。ナメクジやカエルを丸呑みしたというから、いっそう現実離れしていたように見える。本名は辰五郎(1880~1965)で、酸ヶ湯に務め、八甲田の案内人をしていた。多くの遭難者を助け、雪中行軍の遭難者も5人救助した。毎朝酸ヶ湯の風呂に入り、ラッパを吹いた。じつに澄んだ音色だったらしい。
有名なエピソードがある。昭和24年(1949)、鹿内仙人が志功を八甲田の山中に案内したとき、仙人が竹笛を吹くと鷹が頭上を舞った。仙人は言った「これは神の鷹だ。志功よ、おまえは偉くなる」。棟方志功の揮毫(きごう)による山仙鹿内辰五郎頌碑は、地獄沼の近くに建っている。
棟方志功は書いている。「山男、鹿内辰五郎が鹿湯を根城にして、御山への送迎を得意な喇叭(ラッパ)でしている。まむしを喰ふ、なめくぢや蛙なぞはそのまゝで喰ふのには驚ろかされた。気性の真直ぐなので、どの客の下山にも別れ辛らさを想はせる、仏の様な人だ。陸軍喇叭で、苦しい登りを癒してくれ、下山の急勾配に足もとの危険を和めてくれる。此の人は八甲田山の麓で生れ、頂上で死んで行き、此の山の主になるのを願掛けて居る」。
鹿内仙人がいた八甲田の情景が目に浮かぶ。棟方志功が酸ヶ湯に長逗留して数々の作品を生み出したことも、この場所にゆったりと流れる時間にふれれば頷けよう。

文豪たちの酸ヶ湯

「交通の不便なため、当世風の流行に災いされる事もなく、昔ながらの素樸な姿を保っている山懐の温泉を僕はいくつか知っている」。深田久弥(フカダ・キュウヤ)は、「八甲田高原」(『文学界』昭和12年8月号)の冒頭を、このように書き出している。「酸ガ湯もそういう山合の温泉の一つである」と。「こういう山懐の風呂ほど野趣の溢れた人間の匂のする所はあるまい。広い浴場の中に、男女の姿が思い思いの恰好で湧湯にたんのうしている」。
鹿内仙人は、井伏鱒二(イブセ・マスジ)をも出迎えた。「鹿湯の温泉宿に着くと、いきなり喇叭(らっぱ)を吹き鳴らすものがいた。いまどき喇叭の音をきくのは珍らしい。見ると、兵隊服を着た七十前後の老人が腰に一本の横笛を差し、直立不動の姿勢で喇叭を口にあてていた。(中略)『あれは、客人を歓迎する喇叭です。心配なさらなくっていいです。』と運転手が云った。この喇叭は、無意味に鳴らしているのでないことがわかった。ここの温泉宿は、つくりが大きくて棟が幾つにもわかれ、ふとした一部落ぐらいの外観である。二千人の浴客を収容することが出来る。こんなに家が広くては、女中たちを勢ぞろいさせるのに何かの合図が必要だろう。女中たちは、この喇叭を合図に玄関に集まって来て、新来の客にお辞儀するのである」(『川釣り』(グダリ沼)昭和26年、岩波書店)。
岡本太郎は酸ヶ湯に集まる東北の民衆に、東北の魂を見た。「酸ヶ湯温泉で休んだのだが、ちょうど”牛湯”の日だった。土用の丑の日、特にその夜、丑の刻、つまり深夜の二時に、温泉に入れば一年中病気しないというので、近郷近在の農家から集ってくる。以前、私は記録映画で、その壮観を見たことがある。湯ぶねが幾つも幾つもある、ひろい浴場で、えらく賑やかな混浴だ。夜ふけ、浴場のまわりに裸の男女がひしめき、時のくるのを待つ。丑の刻、合図の銅鐸(どうたく)、近頃は花火をうちあげる。するといっせいに、喚声をあげ、もみくしゃになって、お湯にとび込むのだ。みんな湯ぶねの中に立ったまま。ゆっくりつかってなどいられない混み方だ。しかもその真中で、裸をかきわけながら誰かが踊り出す。まわりでは、婆さん、爺さん、若いものも、みんな手を拍って歌い、はやす。ひなびて、たいへん愉快な行事だ。ぜひその情景を見たいものと思っていた。だが私の行ったのは真昼、まだのんびりした気分でみんな静かに湯につかったり、湯滝にうたれていた」(「オシラの魂―東北文化論―」『中央公論』昭和37年11月)。

酸ヶ湯温泉の基本情報

施設名 酸ヶ湯温泉
泉質 酸性含二酸化炭素・鉄・硫黄-アルミニウム-硫酸・塩化物泉(硫化水素型)
効能 神経痛・リウマチ・冷え性・胃腸病・婦人病・通風・創傷・皮膚病・貧血・便秘・小児マヒ・嘆息・夜尿症・打撲・骨折の予後
交通 JR青森駅からJRバスで70分酸ヶ湯温泉下車すぐ

※掲載情報は平成20年2月時点のものです。各施設の営業日・営業時間・料金・条件等は事前にご確認ください。

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