温湯温泉

湯治場

温湯温泉について

共同浴場を囲む客舎

黒石から浅瀬石川をさかのぼるように十和田湖へ向かうと、その川縁に温湯・落合・板留という3つの温泉街が隣り合うように現れる。そのいちばん手前にある温湯温泉は、四百年の歴史をもつ、古い湯治場だ。共同浴場を取り囲んで、二階建ての温泉をもたない客舎が取り囲んでいる。共同浴場は真新しい公衆浴場に建て変わったが、その周りは板張りで二階に縁側を設けた、昔ながらの宿が並ぶ。
「客舎」とは、湯治のために、布団や炊事道具と食糧を持ち込んで、自炊しながら長逗留する宿。利用するのはほとんどが津軽の湯治客で、毎年のように来る人も多い。ここでは、ごく自然に客のあいだに交流が生まれる。会話を交わし、食べ物を交換し合い、果ては宴会を始めることも。見知らぬどうしが、湯治の宿で近しくなる。

温湯は熱の湯

温湯温泉は、熱の湯である。「温湯」は、けっして「温い」という意味ではない。「温まる」お湯だということだ。温湯の温泉は食塩泉。そのため、湯上りのあとも湯冷めしない。中風・神経痛・リューマチ・皮膚病・胃弱などに効く。

温湯こけし

津軽のこけしは東北のこけしの中でも比較的歴史は新しく、大正時代に始まった。黒石市の温湯温泉は、大鰐とならぶ「津軽こけし」発祥地のひとつ。盛秀太郎(モリ・ヒデタロウ)(故人)がそれまでにないくびれた胴とアイヌ模様・ダルマ絵・ぼかし牡丹のこけしを作り始め、その後墨絵を模様付けする佐藤善二(サトウ・ゼンジ)(故人)など、さまざまな木地師(キジシ)たちに受け継がれてきた。温湯のこけしは、印象的な色使いとかたちで全国的に人気がある。
盛秀太郎型のこけしは、おかっぱ頭で、胴にアイヌ模様や、眉を吊り上げてにらみをきかせるダルマの顔、津軽藩の家紋でもある鮮やかな牡丹の花を描く。裾が広く極端なまでにくびれた腰が特徴。胴体絵の部分が主にだるま絵と牡丹の花の絵になっている。この盛秀太郎の直接の弟子に、奥瀬鉄則(オクセ・テツノリ)(故人)、盛美津雄(モリ・ミツオ)(盛秀太郎の孫で奥瀬鉄則の甥)、奥瀬陽子(オクセ・ヨウコ)(奥瀬鉄則の妻)がいる。また、盛秀太郎の弟子だった佐藤善二(故人)の弟子に、佐藤佳樹(サトウ・ヨシキ)(佐藤善二の子)、小島俊幸(コジマ・トシユキ)、阿保六知秀(アボ・ムチヒデ)、阿保金光(アボ・カネミツ)(阿保六知秀の弟)などがいる。
温湯を中心とするこけし職人たちは「津軽こけし工人会」をつくり、それぞれに新しい作風を競い合っている。温湯の街を歩けば、そういった工房のいくつかに出合うことができる。職人が作品と取り組む姿と、じかに触れ合うことができる。

温湯温泉の基本情報

施設名各施設一覧
泉質ナトリウム・塩化物泉
効能中風・神経痛・リウマチ・皮膚病・胃弱
交通弘南鉄道黒石駅から弘南バス温湯温泉下車

※掲載情報は平成20年2月時点のものです。各施設の営業日・営業時間・料金・条件等は事前にご確認ください

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