温川温泉

絶景の湯

温川温泉について

人里を遥かに離れた渓流の宿

浅瀬石川沿いの道をさかのぼり、十和田湖も近づいたころ、渓流の吊り橋を渡ると、森の梢の木洩れ日を浴びて静かにたたずむ湯宿があった。いかにも津軽の人らしい実直な女将が温かく出迎える。

森と渓流に包まれる

かすかに硫黄の匂いを漂わせる少し温めの湯は、浴槽の木の香と溶け合って、どこまでもまるく柔らかい。ヒバ造りのまるびた湯船からブナや楓に覆われた浅石川のせせらぎに耳を傾ければ、木々の香りが深く胸を包む。この清々しさに身を任せて、何時までも一人静かに過ごせたならば、何ほど幸せだろう。
露天風呂は森の匂いと渓流の音を浴びて、この自然に包まれるようにある。「藤助の湯っこ」という名は、大正10年(1921)に亡くなった実在のマタギの名前にちなむ。この森で自給自足で暮らしていた藤助は、まさにこの場所で湯浴みしていた。湯は内湯とは別の源泉で、硫黄の臭いがわずかに強く、なめらかな肌触りがする。

この人にして、この料理

この宿の料理は、川魚と山菜が目玉。みたところ普通の旅館料理のようだが、きのこの「塩辛」(佃煮のような津軽の郷土料理)など、ごく普通にこの地方の家庭で食べているものも添えてあるのが嬉しい。この宿の女将の、根の正直な津軽の「お母さん」のような人柄からか、料理も実に正直な、ほっとさせる味わいがある。

温川の宿

昭和4年(1929)、吉川英治(ヨシカワ・エイジ)(1892~1962)は黒石から40キロの道のりを、下駄で歩いてこの温川へ来た。一軒宿の「斎藤客舎」に十日ばかり泊まって、『万華地獄』を書き、代表作『宮本武蔵』の構想を練った(実際に『宮本武蔵』が「朝日新聞」に連載されるのは、昭和10年)。
ちょうどこの時期、吉川英治は新しいテーマに取り組み始め、自分の進むべき道を暗中模索していた。温川に来てその答えが見つかったかどうかはわからないが、ここでなら心静かに自らの内面と向き合うことができただろう。
「斎藤客舎」は水害で流され、今はない。現在の温川山荘の対岸にあったらしい。温川山荘に吉川英治の文学碑が立っている。
  ぬる川や 湯やら 霧やら 月見草

温川温泉の基本情報

施設名温川山荘
泉質ナトリウム・カルシウム塩化物泉
効能リウマチ・外科疾患のリハビリ・小児病・胃腸病
交通弘南鉄道黒石駅から弘南バスで60分温川山荘下車

※掲載情報は平成20年2月時点のものです。各施設の営業日・営業時間・料金・条件等は事前にご確認ください

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