青荷温泉

絶景の湯

青荷温泉について

にこやかに迎える津軽弁

やっと見つけた「よぐきたねし」(よくいらっしゃいました)という看板に出迎えられ、さらに進めば、電柱に「ゴイットカーブ」(急カーブ)と書いてある。なるほど360度は曲がったかと思うほど本当にきつい山道を行く。途中で清水を飲み、岩木山や八甲田山を眺めつつ、やっとたどり着いた宿では番頭が「よぐきたねし」とニンマリ笑う。これが山深き一軒宿の伝統と見え、万事が津軽弁で、知らぬあいだに番頭と客も、客同士も親密な雰囲気になっている。

雪に埋もれた歌人・丹羽洋岳

じつは、この湯宿を開いたのは、丹羽洋岳(ニワ・ヨウガク)(1889~1973)という歌人である。
板留の温泉客舎に生まれた洋岳は、少年のころ病いのために高等小学校をやめ、黒森山浄仙寺の二世で親戚の寂導行者を頼って「黒森学校」に学ぶ。人里はなれた山中の泉湧き出る中腹に庵を結んで草を食む修行の姿に触れたことが、のちに洋岳を人の通わぬ山の出湯へ導いたかもしれない。
石川啄木と若山牧水(ワカヤマ・ボクスイ)に短歌の添削指導を受け、黒石出身の歌人で新劇作家・秋田雨雀(アキタ・ウジャク)(1883~1962)や、雨雀の友人で黒石出身の口語歌人・鳴海要吉(ナルミ・ヨウキチ)(1883~1959)と交友があった。黒森山に集まる文学の絆のひとつの核に、洋岳もいた。
42歳のとき、この渓谷に湯小屋を建てて移り住む。だが、湯治に訪れる人とて少なく、ことに雪の季節はまれに猟師が道に迷って来る程度だったらしい。
   冬篭る山家の窓の氷紋は
     ただに険き世のものならず
   世に遠きわが春なれや
       炉にさして
     赤く焼けたる沢がにを食ふ
   雪山の月の夜半に躍るらん
     兎想ひて目ざめをるかな
しかし、この湯小屋を取り巻く物言わぬ碧い森と、洋岳の人柄が、この場所にさまざまな人を呼んだ。棟方志功も青荷に逗留して、静かに洋岳との交友を温めた一人である。

ランプの宿

以前は、ほんとうに電気が通わず、灯りをランプに頼るほかはなかった。じつはいまでは電気は使えるようになっている。しかし、あえて電灯をつけず、なんとも不便な「ランプの宿」を続けている。わざわざ日常を離れて山の出湯へ来るのだから、その不便さを楽しめばよい、ということらしい。
したがって、この宿にはテレビというものはない。われわれを日常へ引き戻すいかなるものも、ここにはない。電灯を使わない、ランプの灯りの生み出す時間。今までは気がつかなかったさまざまな音が、聴こえてくるようになる。風の音、樹木(きぎ)のざわめき、水の流れ、雪の降り積もる音。
この温泉を開いた丹羽洋岳が、深山の奥の谷底のようなこの場所を選んで住んだのはなぜか、ほのかに見えてくるような気がする。時代を経ても、洋岳が感じた自然は、いまも目の前にある。春はカタクリ、夏は蛍、秋は紅葉、冬は綿雪。山の四季と、渓谷の出湯と、山の恵みの食卓と、津軽の人の人情と。ランプの宿では、心も灯す。

清らかで、すがすがしい、山の出湯

青荷のお湯は、清らかで、すがすがしい。ことに、本館の内湯がよい。昼のうちは、総ヒバづくりの浴室の格子になった窓から見える樹木の緑が、湯船に映っている。その中に身を浸せば、このまま時の経つのを忘れてしまいそうだ。こじんまりとした造りが、ちょうど身の丈にあって、温かに体を包む。

青荷温泉の基本情報

施設名青荷温泉
泉質単純温泉
効能神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・打ち身・挫き・冷え性・痔
交通弘南電鉄黒石駅からバスで30分虹の湖下車、シャトルバスに乗り換え

※掲載情報は平成20年2月時点のものです。各施設の営業日・営業時間・料金・条件等は事前にご確認ください

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